陽朔のバスターミナルのたたずまい

陽朔バスターミナル1

80年代にバックパッカーをしていた私にとって、
アジアのバスターミナルは旅そのものでした。
といっても、私の場合、ほとんどが中国でしたから、
ちょっと特殊といえば特殊ですが、w。

旅を安くあげようとすれば、当然、バスでの移動がメインになります。
中国の場合、列車の運行本数が悲しいくらい少なかったので、
間違いなく目的の町へ行きたかったら、
前日か当日の朝、そそくさとバスターミナルへ行って切符を買うという作業が、
なにより大切な事柄になってくるわけです。

陽朔バスターミナル2

いまでこそ、ハイデッカーの素敵なバスがたくさん走っていますが、
当時は、ベンチシートバスといいまして、
それこそ、公園のベンチがそのままバスの中に、という簡略化された中国製バスが当然のように走ってました。
しかも、サスペンションがないのか、中国の悪路を走るととんでもなく跳ねるんです。
20代だったから乗れたような、最低のバスでした。

陽朔バスターミナル3

さて、陽朔バスターミナルです。
陽朔は正直、観光地ではありますが典型的な田舎町でした。
ただ、漓江下りというメインイベントがあるので、
桂林へはもちろんのこと、広西の各地にバスが行っているようです。

陽朔バスターミナル4

私が夕方乗り込んだ桂林行きの直通バスは、
90分ほどで走り抜けるという優秀なバスでした。
しかしこの陽朔バスターミナル、どこで切符を買っていいやらとてもわかりにくく、
1本乗り過ごしてしまいました。
とはいえ、夕方の5時過ぎは、25分間隔で直通バスが走っており、
利便性としてはとても高いバスでした。

陽朔バスターミナル5

大きなターミナルの空間の端っこに、
地味に桂林空港・南寧・柳州へ行くバス乗り場がありましたが、
あまりに地味すぎて......藁。

桂林バスターミナル3

というわけで、宵闇の桂林バスターミナルに到着です。
桂林のバスターミナルなのにあまりにも暗すぎて、
どっちへ向かっていいかまったくわかりません。
知らない町に夜着くというのは心細いものなのですが、
まさか、この歳で、しかも桂林であの頃の気分を思い出すとは....。
とはいうものの、この心細いかんじが、
旅をしているという実感を増幅させてくれるのもまた確かなんです。
絶対、ツアーでは感じることの出来ない一瞬なんです。
でも、一緒に旅した他の3人はそれどころではなかったりして、苦笑。

スポンサーサイト
テーマ: 海外旅行記 - ジャンル: 旅行

コメント

  • 2015/07/27 (Mon) 12:01

    小生は80年代の中国はギリギリ知りませんで、90年代初期から登板したの、ライト感覚でナウなパッカーでしたw 

    そうですね、実は中国旅行というのはバスを如何に有効に使うかというところにかかってるところがありまして、時代を遡れば遡るほど、その傾向は強くなりますね。なんたって国土が広くて、列車で旅行の範囲を全てカバーできるわけではないですからね。

    それと彼の地の電車は、小生は決して本数は少ないとは思いませんでした。でも、何せ人口が多いので利用者が多く、相対的に慢性キップ不足が起きて居ましたね。

    それと基本的に列車が一番コスパがよく、上級互換の飛行機は高杉やったし、下級互換のバスは安かったけど時間と距離に制約がありまして。なので旅行者はまず列車に集まるという悪循環もキップ不足に拍車をかけてましたね。

    更に加えて、列車のキップは買占め→転売ヤーが多く、ただでさえ少な目のキップの出回る量が更に絞られるという、中国ならではの現象もありましたね。

    だからこそ、バスで20時間も30時間もイクのが自在にできればだ、これはもう中国旅行のフットワークが軽くなることを意味するのではあるいますが、まぁ言うのは簡単でも実際にヤルのって難しいですよね。

    あと、バスで中国の奥深くまでイッちゃうと、時々外国人立ち入り禁止区域にまでは行っちゃう時がありました。それはリスクの一つではありましたが、まぁ尋問受けたりはせんかったなぁw

    • 切れ込み☆隊長 #-
    • URL
    • 編集
  • 2015/07/28 (Tue) 22:03

    私も80年代のバックパッカーとしたらライト派かもしれません。
    ヘビーな人達は、香港の重慶マンションかバンコクのカオサンに沈没してましたから、苦笑。
    中国でバックパッカーになろうとすると、ドミトリーを探し歩くのですが、
    当時からドミトリーは少なかったですねえ、中国は。
    でも、ちょっと田舎に行くと、トイレ・シャワーなしツインなんか、500円くらいで泊まれましたから、
    そういう宿を見つけさえすれば、けっこうライトな旅が出来たりして。
    まあ、地球のだまし方が必需でしたけど、苦笑。

    私の80年代の中国の旅は、西へ西へと向かいましたので、
    とにかく列車の本数は少なかったですよ。
    西安から先なんて、本当に本数が少ないので、
    時にはぼったくりでもなんでもいいから転売屋から買ったりしましたから。
    とはいえ、当時、列車の切符って、外国人料金が適用されていましたんで、
    多少のぼったくりでもかまわなかったといえばかまわなかったのですが、藁。
    それと、偽の中国人学生証を香港で作ったりしました。
    人民料金で鉄道に乗るために、汗。
    一番苦労したのは、糧票の入手ですかね。
    これがないと、穀物類の主食が食べられなかったですから。
    知らないだろうなあ、糧票なんて、笑。

    • トルファン #-
    • URL
    • 編集
  • 2015/07/29 (Wed) 00:09

    小生の世代までですね、糧票があったのは。表向き、90年代初期に糧票は廃止になってたはずだったんですが、実質まだ使ってました。これが郊外とはいえ北京の話ですからね、時代は変わるモンです。特に大学の学食は完全に糧票制で、糧票が無いとカネ持ってても食べられなかったので、外国人学生が興味本位で中国人学生向け食堂に行っても食べられませんでしたね。

    なので無理言って学生から糧票を買って中学食を食べたのですが、これがもうマズいのなんのwとても損した気分になりましたわいw これがもう20数年前なんだからなぁ。トシ取るワケです。

    • 切れ込み🌠隊長 #-
    • URL
    • 編集
  • 2015/07/29 (Wed) 22:13

    糧票が無くなったのは確か1992年くらいだと思うんですけど、
    ホントにそれまで糧票には泣かされましたね。
    私、最初の中国は1984年なんですが、
    ラーメンやら餃子を食うのに糧票が無くて断念したこと、一度や二度ではないですから、苦笑。
    確か、北京の前門にあった都一処という有名な焼売屋で糧票が無くて食うことが出来ず、
    街で出会った中国人に糧票を都合してもらって、
    再度トライして店の服務員に笑われたことがありました。
    狗不理包子なんか結局食べることが出来ませんでした、w。
    仕方ないので、民族飯店のカツ丼で我慢してました。

    • トルファン #-
    • URL
    • 編集

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する