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カシュガルでテロ勃発

本日の夕刊各紙、トップを飾っているのは、
なんと中国でのテロ事件であります。
場所は中国の西の端、新彊ウイグル自治区、
そのまた西の端、カシュガルという町です。
シルクロード好きなら誰もが知っているかの地の中心都市でして、
パキスタンへ抜けるルートもすべてココを基点とします。
1993年、この町より北側にありますイリという町で、
大規模な暴動が起きましたが、
もしかすると衝撃という点ではあのとき以上の事件ではないかと思います。

新彊ウイグル自治区でテロ、16人死亡
8月4日15時32分配信 NNA

新華社によると、4日午前8時ごろ、新彊ウイグル自治区カシュガル市で、
同市公安辺境防衛部隊が体操を行っていたところに
爆発物を載せた自動車2台が突入し、
部隊警官16人が死亡、16人が負傷するテロがあった。
自動車を運転していた2人は約10人をなぎ倒した後、
手榴弾を投げて爆発させたという。2人は逮捕されている。
 中国では北京オリンピックを直前に控え、
各地でテロへの厳戒態勢が続いていたばかり。
エイティガール寺院

よりによって公安をターゲットにしたテロが起きたわけですから、
ちょっと衝撃的です。
しかし、一番衝撃的だったのは、きっと公安当局でしょう。
北京の次に厳しい監視体制が敷かれている、
といわれている新彊ウイグル自治区の重要都市で起きたわけですから。
イラクなどでありがちな自爆テロかなとも思いましたが、
実際は、たった数発の手榴弾によるテロです。
これでは、さすがに中国の公安もマークしきれない、ともいえるでしょう。
しかし、タイミングとしては、ドンピシャですね。
ただでさえ息苦しくなっているといわれる北京、
連日、真夏日の北京は、それ以上に暑苦しく、息苦しい街になることでしょう。

ちなみにこんな情報が数日前流れました。
おなじみ大紀元からのネタなので、
東京スポーツなみに疑ってかかって読んでみてください。

昆明市バス爆破事件でテロ声明、ねつ造の可能性=欧州ウイグル団体

 【大紀元日本7月29日】自称「トルキスタン・イスラム党」の組織がこのほど映像を公表し、中国昆明市でのバス爆破など一連の関連事件の実行役と名乗り、北京五輪を攻撃すると脅迫した。欧州のウイグル団体はこの映像が捏造された可能性があると指摘し、新疆ウイグル自治区の地方政権が反テロ活動を口実に権力を固めるもので、最高指導部と政治取引が絡むと分析した。

 米国のネットサイトであるインテルセンターは7月25日、約3分間の映像を公開した。映像の中で「トルキスタン・イスラム党」のリーダーと自称する覆面男性は銃を持つ2人の覆面警護に囲まれ声明文を発表。北京五輪開催期間中に中国の都市に「過激な攻撃を発動する」と警告し、最近中国で起こった一連の爆発事件の実行役であることを宣言した。7月21日昆明市でのバス爆破事件や、少し前の上海市や温州地区での爆発事件も自分たちの手によるものであるという。

 この覆面男性は、北京五輪関係者と競技場を対象に過激な軍事活動を発動するとも警告した。

 インテルセンターは長期にわたってテロ組織を監視している。アルカイダはこのサイトを通して頻繁に映像メッセージを公表していた。

 中国当局側は、昆明市、上海市、温州地区での車爆発事件と北京五輪を関連付ける証拠はまだ存在しないとしている。

 米国VOAによると、「世界ウイグル大会」スポークスマンのディリシャティ氏はコメントを発表。中国当局によるオリンピック開催には反対しているが、ウイグルが求めているのは政治の自由と人権であり、テロ活動は断じて行わないと表明した。

 同スポークスマンは、上述の映像を追跡調査した結果、組織と自称リーダーは確認できなかったと述べた。

 同スポークスマンは、「新疆ウイグル自治区の政権トップ・王楽泉氏は現地での統治と権力を固め、同地域での膨大な経済利益を守るために、これまで絶えず現地テロ問題を捏造して来た。現地の安定を維持するためには王に新疆を全面的に任せ切るしかないと最高指導部に認識させるため、最高指導部と権力面での政治取引をしている」と分析し、王楽泉氏が個人の政治的利益のために映像を捏造した可能性があると示唆した。

 また、同氏は、「同映像の出現は中国当局が求めたものではないが、北京五輪開催の直前に当局によるウイグル人への弾圧を正当化する役割を果たした」事実に言及した。さらに、米国議会でウイグルとチベットなどの少数民族弾圧停止の決議案が提出されている最中に、ウイグル人の政治的自由と人権を求める闘争を醜悪なものと反映することで、中国当局側を助けたとも指摘した。

 新疆の公安当局ではこれまで五輪の破壊活動を計画する5つのテロ組織が摘発され、容疑者82人を逮捕、5人を銃撃と中国当局 は公表している。



じつは、そのほかにも不穏な情報は、
ネット上に流れています。
なんと、薬物テロ.....。

郵便物から非合法劇薬押収=新彊では爆発物入り香辛料も
【上海30日時事】
 30日付の中国英字紙シャンハイ・デーリーは、北京市警察がこれまでに郵便物の中から非合法劇薬を押収したケースが9件あったと伝えた。劇薬はいずれもボツリヌス菌を調合したもので、北京五輪との関係には言及されていないが、中国郵政当局は郵便を利用した生物化学テロに警戒を呼び掛けている。
 また、新疆ウイグル自治区で9日、爆発物が混入された香辛料の包みが、五輪地区への攻撃を促す手紙とともにタクシーの中で発見されたという。(2008/07/30-18:27)


なんだか、このままでは終わりそうもない.....。
中国の指導者が一番嫌うのは、メンツをつぶされること。
かつて、あの天安門事件の時もそうでした。
オリンピック終了後、大弾圧が行われる可能性も.....以下略。




ラビア・カーディル女史来日!

ラビ

たぶん、大多数の日本人が知らない名前だと思います。
もちろん、彼女がウイグル人であるということも.....。
非常にマニアックなネタではありますが、
トルファンというハンドルネームを持っている私としては、
彼女は捨て置けない存在です。

現在でこそ、中国の新彊ウイグル自治区では、
ウイグル人による独立運動が下火になったかに見えますが、
かつて、そう、1990年代、中国が改革解放の波に乗り始めた頃、
一部の地域ではかなり過激な運動があり、
中国政府に弾圧されました。
その余波ともいうべきものが、独立運動とは関係のないウイグル人に押し寄せました。
現在でもウイグル人は、厳しい管理下にあるといっても差し支えないと思いますが、
そういう自分たちの民族の窮状に対して果敢に立ち向かったひとが、
このカーディル女史といえるかもしれません。
新彊ウイグル自治区におけるウイグル人の問題、あるいは他の少数民族との問題は、
世界各地で起きている民族間対立と同一線上にあるのかもしれませんが、
中国が懸命に蓋をしているのでなかなか聞こえてきません。
そんな中、カーディル女史が日本でウイグル人の窮状を訴えることが出来るということは、きちんと日本も中国と相対することができていると実感出来るわけです。
アメリカ絡みの人権という言葉には、
少しききな臭さを感じてしまう私ではありますが、
それはそれとして、彼女には多大なる関心を寄せざるを得ません。
ちなみに小さいながらも彼女の来日の記事が、読売や東京新聞に載っていたことも併せて記録しておきます。

ウイグル人権活動家・ラビアさん来日講演、中国当局の凄惨な弾圧訴える

 【大紀元日本11月11日】初来日のウイグル人女性の人権活動家、ラビア・カーディルさん(60)=米国在住=は10日、アムネスティ・インターナショナルの主催で都内で講演した。中国政府による同化政策を批判し、「テロとの戦い」を口実にウイグル人の政府批判者の逮捕や拘禁、拷問などの実態を紹介、「世界で最も悲惨な弾圧を受けている民族」(ラビアさん)を救うために、日本社会に理解と支援を求めた。

 獄中で拷問を受ける若者たちの絶叫、息子たちが暴行を受け、血を流す様を、涙ながらに伝える娘からの電話、さまざまな精神的な拷問を乗り越え、民族のために闘う決意に生きる女性の迫力ある訴えが場内に響いた。

  ラビアさんは、14歳の時に中国共産党から父親が「資本家」として追われ、不遇な生活を送ることになったが、1970年代の改革開放政策の波に乗り、事業家として成功した。改革開放路線で中国は良くなると考え、政界の勧めから共産党に入党。93年から全国政治協商委員を務め、ビジネスにも成功し、中国の十大富豪とまで言われ、新疆ウイグル自治区の発展に貢献したことから中央政府からも評価されていた。

  1997年、漢民族の流入により職を奪われ、言語政策により民族の文化も消滅しそうなウイグル民族の生活改善を北京に訴えたところ、すべての職を追われ、先に米国に亡命した夫のシディック・ハジさんに独立運動に関する新聞の切り抜きを送ったとして、「国家機密漏洩罪」と「国家安全危害罪」に問われ、投獄された。また、2人の息子も強制労働の実刑を裁判もなく言い渡された。

  米国に亡命するまで約6年間の獄中生活では、肉体的な暴行なかったものの、看守から脅迫や侮辱を受け、拷問を受ける若者たちの阿鼻叫喚を聞かされながら、精神的な拷問に身をさらす毎日だった。

  国際社会の努力が実り、2005年3月、米国に亡命し、国際ウイグル人権・民主主義基金(IUHRDF)を創設した。亡命後も、中国政府の弾圧は続き、中国に残るラビアさんの5人の子どもが迫害されている。熱い語り口のラビアさんも「収容所に送られた2人の息子は今、どうなっているかわからない」と不安をのぞかせる母親の素顔に戻った。

  日本政府に対する期待として、ウイグルの人権侵害について中国政府と対話し、この問題を国策として取り上げて欲しいと述べた。

  ウイグル語の禁止や、ウイグル人女性が自治区外へ就労を強制されている、いわゆる中国政府の「同化政策」について、ラビアさんは「15歳前後の若い女性たちは、漢族の地域へ送られないように、年寄りと結婚して自治区内に留まっている者もいる」と民族消滅の危機を訴えた。

  また、北京五輪開催については、カウントダウンが始まった8月9日以降、ウイグル人活動家への厳しい取り締まりが始まり、互いを監視する密告キャンペーンが奨励され、今年5月1日からは、自治区内のウイグル人のパスポートはすべて取り上げられているという。

  ラビアさんの講演は、東京を皮切りに、全国9都市で行われる予定。

夜光杯

葡 萄 美 酒 夜 光 杯
欲 飲 琵 琶 馬 上 催
酔 臥 沙 場 君 莫 笑
古 来 征 戦 幾 人 回


ぶどうの美酒に夜光杯
せっかく飲むのだから馬上ではあるけど琵琶を奏でる
酔っぱらって砂の上に倒れたとしてもどうか笑わないで欲しい
むかしから戦いに出た者達が幾人帰ってきたというのだ...
(だから思う存分飲ませて欲しい)


私の大好きな漢詩のひとつです。
作者は実際には西域ーシルクロード筋へは行ったことがないのですが、
西域に対する想いをこの短い詩の中に凝縮しているといえるでしょう。
ある意味、想念の中の西域とでもいえましょうか。
この詩を高校時代から好きだった私は、
いつか西域を旅したとき、
必ずゲットしなければいけないアイテムとして、
夜光杯は常に頭の中にありました。
酒は下戸だけど、藁。

夜光杯1

というわけで、画像の夜光杯をゲットしたのが、
1987年の夏。
このときの旅は甘粛省を横断するのが目的で、
蘭州、武威、張掖、そして酒泉とバスでつづる旅でした。
なぜか、敦煌はオミットしましたが.....苦笑。
で、酒泉の町に玉で杯を作る工場があると聞いたので、
いそいそと出かけていきました。
そして、出会ったわけです、夜光杯に.....。

夜光杯2

勝手に光を当てて悦に入っているわけですが、
私の大切な宝物のひとつです。
もちろん、飲めないワインを買って乾杯したのは、
いうまでもありません、w。

雪のウルムチ...1986.3

昨夜、ウルムチの夢を見ました。

ウルムチ...なんだかキムチの親戚みたいな名前ですが、
決して、朝鮮ではありません。
漢字で烏魯木斉と書きます。
中国は西の端、新彊ウイグル自治区の区都であります。
私がまだ大学生だった頃、
個人旅行でリュックを背負ってこの町にたどり着くことは、
ある種、勲章のようなものでした。
1986年3月、
私もこの勲章を心につけるべく、ウルムチへとやってきました。
ウルムチ1

ウルムチに着いた夜、
タラップを降りると、空港は銀世界でした。
まさか、シルクロードの町に雪なんて.....。
早い話、我々の無知以外何ものでもなかったのですが、苦笑、
着いた夜は見事に氷点下でした。
その翌日の様子が上の画像です。
撮影者が私ですが、正直、とっても寒かったです。
それでも、ちょっとしたアクシデントや予想外の出来事というのは、
とりあえず無事でいる限りは笑い話にもなってしまうわけで、
いきなり、シルクロードで雪...でも、
元気に笑い飛ばしてしまいます。
ウルムチ2

とりあえず、雪が降っていようと、ヒツジでも喰うべえということになり、
すごすごとウイグル人のやっている屋台でお食事です。
といっても、ヒツジの串焼きだけですが。
ウイグルの野郎どもは、見かけない奴らが来たとおもしろがりまして、
なんとも慣れ慣れしい写真撮影と相成りました、w。
まあ、おもしろがっているのはこちらも同様で、
ウルムチ3

ついには、日本人によるシシカバブ(羊肉串)売りがウルムチの町に誕生してしまったわけです。

そんなこんなの20年以上前のウルムチですが、
今じゃ、巨大都市に変貌してしまって、
きっと、沿海部の大都市と同じような街になってしまっているのだと思います。
私のウルムチは、画像の中と夢の中に留まっているのかもしれません。

ウラム・エフェレディン君の野球

ウラム1

ウラム2

先日、このブロッグのおなじみ忍豚氏がお菓子を買いに来てくれまして、
そのとき、甲子園に出場している香川西高に、
なんと新彊ウイグル自治区出身のウイグル人がいるというので、
気になりまして、ちょっと調べてみました。
小ネタではありますが、
ウイグル人に野球というのは、何とも異色ですし、
大阪弁をしゃべるであろうウラム君に、
えらく執着してしまいそうなのは私だけでしょうか、w。

香川西・ウラム 観戦の両親に晴れ姿
チームの要はウイグル自治区出身

 両親も見守る、最高の晴れ舞台を最高の結果で飾った。香川西が甲子園初勝利。中国・新疆(しんきょう)ウイグル自治区出身のウラム捕手が、主将として、扇の要としてチームを引っ張った。

 「夢の舞台で勝てて最高です。親には迷惑をかけたけど、日本で野球をやっててよかった」。打では2安打、リードでもセンバツ8強の日本文理を1失点に封じた。

 母・ズラヤティマムティさん(43)にプレー姿を見せるのは、高校で初めて。会うことさえ、2年ぶりだ。父・アブリズさん(42)の留学で、2歳の時に来日。中学まで大阪・堺市で過ごしたが、3年前に中国へ帰国した。9歳で始めた野球。のめり込んで、甲子園を夢見ていたウラムは、両親に懇願し1人、日本に残った。バッテリーを組む豊岡とともに香川西に進学、そして最後の夏に夢をつかんだ。

 右のポケットにはいつもお守りを入れている。ホームシックに悩んだ1年生の5月、母からの手紙に添えられていた。「勇気を与えてくれたお守り。ピンチになるといつも触ります」。自らの二塁悪送球で招いた9回2死三塁でもすがった。野球を知らない母も、アルプスでチャンスのたびに拍手し、ピンチのたびに祈った。「初めて見たけど。楽しい。勝ってくれてうれしい」と笑みを浮かべた。

 日本で高校教師になり、将来的には故郷で野球を教えたいという夢を持つ。「ウイグルで盛んなのはサッカーやバスケット。野球の楽しさを伝えたい」。勝ち進み、思い出を重ねることが“野球伝道師”としての財産になる。

わが麗しの西域

新彊ウイグル自治区1

夏と言いますと、やっぱりシルクロードへの旅を思い出します。
かつて、私は、中国の西方地方、
まあ、一般的にいうと、シルクロード方面へ何度となく足を運びました。
甘粛省から新彊ウイグル自治区にかけての道筋は、
我が青春の日々とでもいいましょうか。
その中でも、ハンドルネームにしているトルファン地域には、
3回ほど訪れています。
この地方は、とにかく、果物が美味しいのです。
葡萄、スイカ、メロン、そして何より美味しいのが、
新彊ウイグル自治区2

2枚の画像にあるようなハミウリです。
40℃にもならんとする気温、
そして、限りなく0に近い湿度、
こんな環境では、やはり、水分したたるハミウリは極上の食べ物となります。
ハミウリは、トルファンのとなり、ゼンゼンという地域のものが最良とされています。
昔、西武百貨店でハミウリ4分の1カット700円で売っていて、衝動買いしましたが、
やはり、現地で熟したハミウリを喰わんとあきまへんなあ。

ラベンダー1

ラベンダー2

もうひとつ、忘れられないのが、菜の花畑とラベンダー畑です。
最初にシルクロード筋で見たのは、
甘粛の高原地帯を走るシルクロード特急の車窓からでしたが、
のちには、画像にあるような、新彊ウイグル自治区の西の端、
イリ地方でもたっぷり楽しみました。
ラベンダーはその油を取ることで栽培されているそうです。
化粧品にでも使われるのでしょうかねえ。

いにしえのトルファンー火焔山

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 前回、少し私の真の姿がかいま見られたと思いますが、w、
今回も続けてトルファンに立ち寄りたいと思います。

 つい先日までフジテレビで「西遊記」がやってましたね。
かつて日テレでやっていた「西遊記」と比べるまでもないですが、
やはり、日テレの勝ちです、藁。
孫悟空役ももちろんですが、
猪八戒も沙悟浄もはるかに日テレ版の方が個性的であったように思います。
なにしろ、堺正章、西田敏行、岸部シローというラインナップでは、
荷がちと重すぎます。
しかも、おっしょさんがあの夏目雅子ですからねえ。

 それはさておき、西遊記といえば必ず出てくるのが、
今回の画像の火焔山。
とっても古い画像で恐縮ですが、1986年ものです。
1986年というと、中国を自由に歩き回れると知れ渡り、
日本人バックパッカー、しかも貧乏人ばかり...が大量に、
中国に渡ったことがマスコミで話題になった年でもあります。
1日1500円で中国を旅する方法というのが、
当時の地球の歩き方のうたい文句でしたからねえ。
私が行ったのは3月ですから、
おそらくその先鞭をつけたものと思われます、笑。
ほとんどの日本人バックパッカーは、香港から中国へ入っていましたが、
私は堂々上海から入境しました。
当時は、日本の中国大使館や領事館でビザを発給してもらうのは、
至難の業でして、多くの日本人は、香港で1日待てば発給してくれるビザで、
中国を席巻していたわけです。
ちなみにトルファンで出会ったバックパッカーのほとんどが日本人でした、藁。

追伸 画像は間違っても大島の三原山ではないですから、あしからず、w。



mixiからのバトン お題「シルクロード」

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 お仲間の忍豚氏から、バトンのお題が廻ってきましたので、
お題に即して、まじめに語りたいと思います、w。
まず、最初に画像からです。
この画像は、1986年3月のトルファンのペゼクリク千仏洞です。

Q1.パソコンまたは本棚に入っている『シルクロード』は?
 私の最初のシルクロード体験は、
スウェン・ヘディンの「さまよえる湖」の小学生本でした。
すべては、ここからスタートしているといっても過言ではありません。
すでにぼろぼろになってしまいましたが、
いまでも、いつでも手に届くところにあります。
 もう一冊、それは、地球の歩き方シルクロード編89年版です。
じつは、シルクロード編の第一回が89年版なのですが、
このガイドブックの編集に関わっています。
自分の取材したところは、甘粛省の蘭州、武威、張掖そして、酒泉でした。
もちろん、取材費となにがしかの謝礼をもらいました。

Q2.今妄想している『シルクロード』は?
 カシュガルからタシュクルガン、そして峠越えしてパキスタンまでの道のり、
カラコルムハイウェイを走破.....かな。

Q3.最初に出会った『シルクロード』は?
 最初にシルクロードの地へ降り立ったのは、
画像にあるように86年の3月です。
雪の降るウルムチから、シャツ一枚で過ごせるトルファンへ。
天山山脈を越えるとかくも変わるものなのです。

Q4.特別な思い入れのある『シルクロード』は?
 上海発ウルムチ行きシルクロード特急79時間の旅ですかね、苦笑。
実際にはトルファンで降りましたので、
終点ウルムチの駅頭には立ちませんでしたが。
現在では、59時間で走破しているとか。
出来れば、ウルムチからカシュガルまで鉄道で走破したいですね。

というわけで、バトンは他の人に渡さなくてはいけないのですが、
渡す相手がいないので、
ここで寸止めにさせていただきます。
ご容赦.....藁。

追伸 
せっかくですから、1993年のペゼクリク千仏洞の画像も用意しました。
偶然というか、ほとんど同じ場所で撮影しています、藁。
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